日本愛したジョブズ氏
すし屋で「お別れ会」 死期予感し何度も
 アイフォーン、アイパッドなど世界的な人気製品を生み出したカリスマ、米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏(5日死去、56歳)。実はかなり「日本好き」だった。その素顔は? 【岡礼子、パロアルト(米カリフォルニア州)堀山明子】
 ジョブズ氏が死期を予感し、友人を招いて“お別れ会"を繰り返したすし屋が、米カリフォルニア州シリコンバレーにある。すし職人、金子典民さん(46)と高橋一郎さん(39)が共同経営する「陣匠」だ。
 「この巻物のトロ、何時にたたいた?」08年夏のお昼、1人でカウンターに座った男性客は、やたらと質問が多かった。「このサバはどこから来たの」。細かく確認し、新鮮と分かるとうれしそうに味わった。それがジョブズ氏だった。
 膵臓がん発覚後、手術が成功し、体調が回復していたころだ。握り以外にもエビの天ぷら、ざるそばを注文し、オレンジムースで仕上げるのがパターン。酒はほとんど飲まなかったが、昨年夏にゴア元副大統領とカウンターに座った時は、梅酒で顔を赤らめていた。
 食欲がガタンと落ちたのは1月ごろ。6月上旬、公から姿を消し、その頃から店の予約が増えた。「6月下旬から7月初めまで、多い時は週3回も、3~4人の少人数で来ていました。弱音を吐かない人なので、それがお別れ会とは思わなかった」と高橋さん。7日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、陣匠に医師らを招き「親しい仲間に別れを告げた」と報じている。
 会食が一段落した7月中旬・妻ローレンさんと2入で昼時に訪れた。ウミマス、タイ、サバ、穴子。好物を8貫頼んだものの、時折苦しそうに頭を抱え込んだ。半分食べ残したまま、鍋焼きうどんを注文。しかし、じっと見つめるだけだった。
 「食べて元気になりたかったんだと思います。あきらめてなかった」。高橋さんは、食べられなくても注文を続ける姿に、わずかな可能性でも挑もうとする気合を感じた。それが最後だった。
 24日には、ジョブズ氏公認の伝記「スティーブ・ジョブズⅠ」(ウォルター・アイザックソン著、講談社)が発売された。それによると、ジョブズ氏は大学を中退後、カリフォルニアで禅を教えていた2人の日本人に出会い、禅に傾倒。永平寺(福井県)で出家しようとして止められた。結婚式も仏式で、お経をあげたほどだ。
 翻訳者の井口耕二さんは「華美を廃する禅の考え方は、アップルの製品に通じる」と話す。アイフォーン以前の携帯電話は、数字キーが並んでいたが、アイフォーンはボタン一つ。「シンプルにしろ」が信条だった。
 黒いハイネックも日本の影響。三宅一生さんがデザインした製品が気に入っていた。
 元アップルジャパンマーケティング本部長の外村仁さんは、初代アイポッド(携帯音楽プレーヤー)を発表した01年当時を振り返り、「まったく評価されず、どうかしたんじゃないかとさえ言われた。しかし、絶対にいいと信じてやり続けた」と話す。
 伝記を出すと決めたのは、子供たちと過ごす時間が短かったことを後悔したため。「何を考え、どんな仕事をしたか伝えたい」と3年間で50回のインタビューを受けた。
 何度も京都を訪れ、旅館「俵屋」が定宿。娘と西芳寺(苔寺)を訪ねていたという。
《出典》毎日新聞 (23/10/24) 前頁      次頁