純粋になった時 本質が見えてくる
芳賀 康夫さん
ひと 「良寛」を撮る越後の写真家

 4年前の秋。
 書家、榊莫山さんと良寛ゆかりの地を訪ねた。人を元気印の"朝日型"とロマン派の"夕日型"に分けるならば、「良寛は夕日型人間」という莫山評を聞きながら、心の隅にあった良寛への思いに、ポッと灯がついた。
 良寛が暮らした国上山(新潟県分水町)の五合庵にひかれる。
 「庵を包み込む樹木の中にいると、良寛さんの息遣いが聞こえるような気持ちになる。シャッターを夢中で押し続け、気付くと、夜になっていたことも」
 里のおばあさんから「あの杉木立の道を良寛さんと貞心尼(晩年の弟子)がデートした」などと、言い伝えを教えてもらったこともある。「それがまたリアリティーがあって、今も庶民に愛されているというか、良寛さんが身近になって楽しかった」
 越後の原風景を撮り続ける写真家。新潟県出雲崎町の生家跡から、母親の故郷・佐渡を眺める良寛座像にもひかれる。
 良寛を追い、ファインダーの奥に見つけたのは、無の世界に本当の世界がある、という生き方だった。
 蓮の上にいるカエル一匹を撮っても、良寛を感じる。自然の生物は何にも逆らわない。その「無」に、良寛と近いものがあるように思うのだ。
 「純粋になった時に、物の本質が見えてくる。良寛さんの境地にはなれっこないが、カメラを通し、1㍉でもいいから接近したい」   文・荒井 魏
《出典》毎日新聞 (13/05/09) 前頁      次頁