文化貢献(オンタイム・オフタイム)
演出と経営は共通感覚
 昨年十月、東京・初台の東京オペラシティで、若手女性オペラ歌手のりサイタルが開かれた。二百八十人ほどが入るリサイタルホールは満員だった。演出や衣装を手がけたのは、当時、輪入車ディーラーの支店長だった林文子さん(53)。
 二十ニ年前、国産車ディーラーに入社し、わずか二力月目にトップセールスの成績を上げ、一躍有名になった。一方で休日は自分の趣味であるオペラや能の鑑賞にたっぷり浸り、リフレッシュに努めた。友人を手伝って、都内のホールで開かれたジャズ・ダンス・フェスティバルの演出をしたこともある。
 趣味を通じて若手の芸術家と接しているうちに、ある思いがこみ上げてくる。「海外で活躍している日本人でも、日本では活動の場が少ない。彼らに機会を与えて、素晴らしい芸術家がいることを世の中に広めたい」。輸入車ディーラーに移っていた林さんは四年前の春、自分の店で思いを果たす。
 夜、ショールームから車を外に運び出し、店の内外をライトアップする。店内の主役は車ではなく、クラシック演奏家。ショールームコンサートの始まりだ。演出は自ら手がけた。
 二百人余りのお客さんが聴き入る。店の外に取り付けたスピーカーからも、バイオリンの音色が流れる。ガラス張りのショールームが夜の街に浮かび上がり、道行く人も引き寄せられる。
「すてきな体験ができた」と感謝の声があふれた。お客さんとセールスマンの人間的な関係を深めることができたと、彼女は確信した。販売店の売り上げは伸びた。
 ショールームを「文化の発信地」に変えたイベントは、能や狂言、オペラリサイタルなど九回にわたった。そして昨年、ついにショールームを飛び出した。
 彼女は今年二月、独フォルクスワーゲン(VW)グループの販売子会社、ファーレン東京に社長として引き抜かれた。「人を集め、マネジメントする。演出と企業経営には共通の感覚がある」。いつかは、ファーレン東京のショールームも芸術家のステージに変えたいと願っている。
《出典》朝日新聞 (11/06/09) 前頁  次頁