21世紀を担う若者へ
天声人語(2題)
 広島と長崎に投下された原爆をかたどったピアスが、米ニューメキシコ州の国立原子博物館で土産として売られている。原水爆禁止日本協議会(原水協)が、憤りを込めてそう発表した。
 インターネットに開設されている博物館のホームページを見た。「細密な複製」とうたった銀色のピアスの写真が戦っている。広島に落とされたリトルボーイ(少年)は16㌦、長崎のファットマン(ふとっちよ)は少し大ぶりはので24㌦だそうだ。数多くの人たちを殺し、苦しめた原爆の形を装身具にする。想像力を決定的に欠いた、人間とは思えぬ神経である。
 きのう広島で催されたシンポジウム「語ろう、核兵器廃絶を!」(朝日新聞社、広島市など主催)で、映画監督の山田洋次さんが「寅さんの平和論」と題して基調講演をした。山田さんは「新型爆弾投下」を、当時住んでいた中国東北部(旧満州)で知った。「しかし、その爆発によって地獄のような恐ろしい光景が広島に展開していたことには、戦時下の少年の想像力は及びませんでした」。
 戦後、映画の世界でも「核の恐怖」「核廃絶」を主題にした作品が、内外でつぎつぎに生まれた。『原爆の子』『生きものの記録』『渚にて』『博士の異常な愛情』・・・・。ところが1990年代に入ると、核兵器の決定的な破壊力を礼賛する映画が登場してくる。
 たとえは世界的なヒットになった『インデベンデンス・デイ』。「宇宙からUFOでやってきた邪悪な生命体と、アメリカ大統領指揮の軍隊が戦う話です。交渉が決裂し、大統領は叫びます。核攻撃だ、核で皆殺しにしろ。映画館でこのことはを聞いたときの驚きを、僕は忘れられません」。
 「かくも無神経に核爆弾が扱われる状況を、どう理解すれはいいのでしょうか」。
----人類の想像力の豊かさが問われているのだ。この項、明日に続く。

 8月6日、広島。原爆ドームの前で、訪れた大勢の人たちが記念に写真を撮っている。「はい、チーズ」とシャッターを押すのを何組も見た。あの日から数えて54年である。
 市内のコダックギャラリー広島(中区西川口町)で、東京の写真家、小林正昭さんの個展が開かれている(30日まで)。ことし1月、許可を得て3日間、原爆ドームの内部に入り、撮影した作品だ。特大の1㍍四方の印画紙に、原爆を浴びたれんがの壁面が細密に浮かび上がる。作品群に取り囲まれると、ドームの中央に立っている気持ちにさせられる。
 小林さんは中学からミッションスクールで学んだ。毎日、礼拝があり黙とうがあった。静寂が支配し、空気がー変した。ドームに入って天空を見上げたとき、小林さんは「この気配は、少年のときの祈りの空気だ」と直感した。そこは「礼拝堂」なのだった。
 話の中で何度か、「想像力」ということばを小林さんは口にした。「想像力が、新しいヒロシマをつくるのだと思います」と。きのう紹介した映画監督、山田洋次さんが講演で強調したのも「想像力」だった。巨額を投じて作られる最近のハリウッド製アクション映画は、核兵器の破壊力のみを礼賛している。そう話したあと、山田さんは続けた。
 「僕は戸惑います。よその国ならいざ知らず、被爆国である僕たちの国でも、これらの映画が大成功を収めたことに。若者を中心とした観客が、核爆発のシーンをまさに威力としてのみとらえ、人間的悲惨として認識することのできない想像力の貧困さに」「なぜこの国の観客は、核爆発のシーンで一斉に席を立つ、という行動に出なかったのだろうか」。
 「戦争の思い出が風化したといわれる。が、風化とは自然現象を表すことばです。ヒロシマは自然現象ではない。人間が作りだした悲劇です」。山田さんは結んだ。
《出典》朝日新聞 (11/08/06) 前頁  次頁