奈良県斑鳩の里の法隆寺には「法隆寺の七不思議」が伝わっている。法隆寺にはクモが巣をかけない、境内の地面は雨だれの穴があかない、スズメが建物に糞をしない等々▲それも不思議だが、もっと不思議なのは法隆寺五重塔の成り立ちである。日本書紀の670年4月30日の条に「法隆寺に火災が起こった。一屋も残らず焼失した」とある。1939年にその跡が見つかり、現在の法隆寺は焼失後に再建されたという説が有力だった▲ところが、奈良国立文化財研究所が解体修理のときに保存していた心柱の一部をX線撮影して調べると、594年に伐採したヒノキ材だったことがわかった。日本書紀が伝えるように670年に焼け、その後再建されたとすると、なぜ594年伐採の木を使ったのか▲当時、伐採した木材はすぐに使われるのが普通で、伐採直後に五重塔を建てたとすれば、7世紀はじめになる。もしかしたら再建ではなく創建かもしれない。とすると、日本書紀の記述と明らかに食い違う。まるで二つの法隆寺があるようだ。法隆寺第一の不思議だ▲それにしても問題の心柱が594年伐採とよくわかったものだ。奈良国立文化財研究所は86年に同じ心柱を肉眼で調べたが、部材の赤身(色の濃い部分)しか見えなかった。 こんどX線で調査してはじめて年輪の最も外側の白太(白い部分)が判明し、正確な年輪を測定することができたという。年輪年代測定法の成果である▲再建か創建かはさしおき、594年に伐採されたヒノキ材が、五重塔の心柱に組み込まれたことは間違いない。1400年前のヒノキ。 1400年前、きっと宮大工たちは、ヒノキをなでさすりながら、一心不乱に五重塔を建立したのだろう。先人の業に驚嘆する。心柱は、心の柱とも呼ばれる。いま心に柱はあるだろうか。
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