相互の信頼関係重視 | |
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設計事務所とタイアップで(建匠) | |
研究者から転身する 建匠(本社=東京都目黒区、辻隆夫社長)は、設計事務折とタイアップした仕事を主に展開している、ユニークな工務店である。社長の辻さんも、大手ゼネコンの研究者から転身して、工務店経営者になったという変わり種でもある。 「私は元々は建築畑の人間ではなく大学で数学を専攻し、コンピュータ関係の仕事をしていました。ゼネコンの研究所に勤めて五年くらい経った頃、材木業を営んでいた義理の父が亡くなったんです。 跡継ぎもいなく、どうしようかということになり、結局、私が継ぐことになりました。取引先の大工さんに教えて貰い、木材を勉強しました。失敗もしましたが、白紙の状態から勉強したのと、プライドもなかったので、何でも質問できたのが幸いして、覚えは早かったですね。 時代は昭和五十年代の始めでした。石油ショックから立ち直り、住宅需要も増えてきた頃ですが、取引先の工務店、大工さんに仕事が回ってこない事態が起こりはじめていました。 住宅ニーズが変わり、町場の工務店が対応できないということです。特に、この地域ではそうした現象が顕著でした。 工務店が衰退するということは、材木屋も衰退することになります。腕の良い大工さんがたくさんいるのに仕事が減っている。 そこで、知り合いの建築設計事務所から仕事をもらい、建匠という別会社を設立して、出人りの工務店や大工さんと施工するようになった訳です。 徐々に事業規模が材木業を上回り、現在では建匠が主力になりました」 昭和五十年代は、地場産業としての住宅供給形態が崩れ始め、新しい形態に変わる過渡期であった。材木業も工務店同様、改革を迫られていた。 そうしたなか、辻さんの選択した建築設計事務所とのタイアッブは、先見の明があった。 最近、商品化された住宅に物足りなさを感じたユーザーが、個性的なデザインを求めて設計と施工を分離した家づくり考える人が増えている。 設計事務所との仕事を始めて以来、その輪が広がり、今では約五十社の事務所と付き合いがあるという。 「ある事務所から、知り合いの事務所を紹介してもらうというつながりで広がってきました。五十社のうち、一度しか仕事をしていないところもあれば、二十棟以上やってきたところまで、いろいろなケースがあります。 若い事務所の所長などは、白分のやりたいことをたくさん設計に盛り込むため、工事にしわ寄せが来て予算がオーバーになってしまうこともあります。 そうした時に、言葉は悪いかもしれませんが、当社で面倒を見ることもありました。それは、ひとつの現場だけの付合いではなく、長い付き合いをしていきたいと思うからです。 建築家の感性や創造性に期待します。その建築家が有名になり、事務所が発展すると、私どもの仕事にもいい影響を及ぼすことになります。 こうした付き合いを重ねて、建築設計事務所との輪が広がってきたわけです」 オフコンで見積作成 建匠のもうひとつ他の工務店に見られない特徴として、今でいうところのIT化を、早くから導入してきた点があげられる。 「コンピュータを使っていた経験がありましたから、十年以上前に導人しました。当時はまたパソコンがなく、約一千万円を投資してオフコンを入れました。 その頃の見積もりは大雑把なものでした。設計事務所からあがってくる図面も何人かの手で描いているため、人によって記述が違っていたりで、部材の拾い出しが大変だったんです。 正確な見積もりを出すため、オフコンが必要たった。プログラムはコボルというコンピュータ言語を便つて自分で作成しました。こうした作業は昔やっていたことですから、どうということはありませんが、日常業務の合間にしかできないので、時間を作るのに苦労しましたね。 この時に開発したシステムは、そのつど改良して今でも使っています。 それと、当社のホームページ、イントラネットによる業務管理ソフトも私がすべて作成しました」 かつてその道のプロであったとはいえ、コンビュータ言語を使いこなして、自分でいろいろなソフトを開発できる工務店経営者は、業界広しといえど辻さんくらいしかいないだろう。 一端をデモンストレーションしてもらったが、すばらしいでき映えである。次回詳しく紹介したい。(文・松下寛光〉 | |
《出典》住宅産業新聞 (13/04/11) | 前頁 次頁 |