さだまさしの日本が聞こえる
恥ずかしくて哀しい「無意識」
 イラク戦争の終結宣言言が出て、あの曖昧な戦争は終わった。元々理由のはっきりしない一方的な戦争で、「戦争」と言うより「一方的攻撃」と言い切った方が近いような偏った戦だった。「強いアメリカ」か。でも米軍がイラク攻撃の最大の理由とした「大量破壊兵器」は未だに見つからない。このあたりが何だか釈然としないんだよなあ。更にこの戦いで、米軍は逆に「緩やかだが冷酷な核兵器」劣化ウラン弾を使用した。「ううむ一体「正義」とは何だろう、と臍をかみながる付和雷同に終始した我が祖国の哀しさと未来を憂う。
 世界第二位の経済大国の「世界に対する発言力」は恥ずかしいほど低いこともよく分かった。殊にアメリカに対して。これでどんなに陽気でお人好しな日本人でもやっと「自分たちはアメリカの属国なのだ」と気づいたに違いない。イラクでも「独裁者が消え去ることと」と「決着に対する国民の納得」とに微妙なズレがある。いずれにせよ、人は沢山死んだ。それだけが事実だ。だがこのことは「殺人」でも「大量殺戮」でも無いらしい。様々な納得できない理屈に、胸のつかえが取れない。誰もがそうだろう。
 「米英が一年間イラクを統治」か、ああ、やっぱりな。「油田を破壊するな」ブッシュの台詞。え? 人間は構わないの? 何だかアメリカの裏の目的がはっきり浮き彫りにされるじやないか。先に攻撃したのはアメリ力。記憶に明確に書き込んでおく。この戦、「フセインは悪い奴だ」という情の部分には矛盾はしないが理屈的には決して一致しない。所があろう事かそんなものに日本は「参戦」した。にもかかわらず国民には「参戦した」という意識は全くない。意識がない、と言うことがどれほど恥ずかしく、哀しいことかという意識も無い。ああ、我が祖国よ。「ドイツの外相は格好良かったね」そう言ったときのドイツ人の誇らしそうな顔。「日本の立場は難しいからね」と気の毒そうに言われた。世界に対してまた恥をかいた。
《出典》毎日新聞 (15/05/19) 前頁  次頁