「西行する」
小林澄夫の 左官のいる風景2
 左官の世界には「西行する」という言葉があるという。
40年ほど前、何人かの職人から聞いた言葉だ。いつのころからか、彼らの間では、旅する職人のことを、中世の歌人・西行法師にあやかって「西行」と呼ぶようになったのだという。
 その動詞形が「西行する」。つまりは、こて一本を持って、仕事を求めて諸国を旅すること。左官にとっては修業の旅であり、その土地その土地の材料を学んだり、優れた技能を持つ職人と一緒に仕事をしながらそれを盗み取る旅でもあった。
 職人の歴史的出自をたどれば、農村共同体から追われた者にたどり着くともいわれる。職人同士は仲間だから、流れ流れて「西行する」左官がたずねてきたら受け入れ、自分のところに長く置くことができなければ、何がしかの旅銭を与えて送り出す。その間、世話になった者は一宿一飯の恩義を感じて自らの腕で親方の仕事を助ける。地方の左官たちは組合の集まりの場で、職人の世界のそんな関係を私に話してくれた。
 そこには歓待の精神があった。そして歓待の精神があればこそ、「いたるところ青山」、そんな思いで左官は心おきなく.「西行の旅」に出たのだろう。
(43年生まれ。月刊「左官教室」編集長。著書に「左官礼讃」)
《出典》朝日新聞 (17/10/11) 前頁  次頁