ジャーナリストの大宅壮一が中学生だった大正初めだ。国語の時間に教育勅語の中の「一旦緩急アレバ」は文法上「アラバ」の間違いではないかと尋ねた。この時先生は「綸言汗の如し」---天子の言葉は取り消せぬとの言葉を引いて彼を説き伏せた▲「綸言」は礼記の孔子の言葉「王の言は糸の如くなれば其の出るや綸の如し。王の言は綸の如くなれば其の出るやふつの如し」が出典という。綸はひも、ふつは綱、王の言葉は初め細くとも一度口を出れば、ひもや綱のように太く変わるという▲現代風にいえば、指導的な立場にある者の言葉はささいなことでも公言された以上は重大な影響を及ぼすという戒めである。「故に」と孔子は続ける。「大人は游言を倡えず」---地位ある人はいいかげんなことを口にしないというのである▲さて麻生太郎首相は「最初からこだわっていない」と語った。何のことかというと、自ら検討を指示した厚生労働省の分割・再編である。「社会保障省」「国民生活省」という名もその口から出た分割構想だが、ここに来て実は「検討したらどうかという話をした」だけだという▲しかしこの「話」、何も根回しを受けていなかった政府内や与党から「拙速」「唐突」などの反発や批判を呼び起こした経緯はご存じの通りだ。分割・再編の具体像はとても衆院選までに合意をとりつけられそうになく、「こだわっていない」の言葉が飛び出る成り行きとなった▲周囲が空騒ぎしたといわんばかりの首相だが、先の孔子の言葉にはさらに先があった。「言う可くして行う可からざるは、君子は言わざるなり」。言っても実行できないことは言わないことだ。
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