生死のあわいへ視線貫く
茨木のり子 初の回顧展
「現代詩の長女」とよばれる詩人、茨木のり子(1926~2006)の初めての回顧展が、群馬県高崎市の県立土屋文明記念文学館で開かれている。メッセージ性の豊かな詩風とは対照的に、あまり知られていない創作の舞台裏が興味深い。とりわけ、潔く凛とした死生観は心に残る。(白石明彦)

 「このたび私○○○○年○月○日○○にてこの世におさらばすることになりました。・・・
『あの人も逝ったか』と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・」
 茨木は79歳で急逝する前、親しい人たちへ送るこんなお別れの手紙を用意していた。日付と死因が空白で、添えた写真を組みこむ位置まで指定した原稿には、従容として死を迎える潔さがある。
 茨木は48歳のとき、詩作に理解を示す医師の夫、三浦安信に先立たれて、「虎のように泣いた」。やがて、「寂寥だけが道づれ」の日々を自由に生きるという心境に至る。挽歌を書いていることは詩人の大岡信さんらに明かしたが、生前は発表しなかった。
 茨木の死から4カ月.その自宅の書斎で、おいの宮崎治さんが、「Y」と書かれた無印良品の箱を見つける。Yとは安信の頭文字。中に挽歌40編の詩稿と目次、草稿ノートがあり、一周忌に詩集『歳月』(花神社)としてまとめられた。
 清書された詩稿には、「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」という詩句に代表されるような、読者を鼓舞する作品世界とは隔絶した、夫と二人だけの濃密な空間が秘められている。
 「ふわりとした重み/からだのあちらこちらに/刻されるあなたのしるし/ゆっくりと/新婚の日々よりも焦らずに/おだやかに/執拗に/わたくしの全身を浸してくる/この世ならぬ充足感/のびのびとからだをひらいて/受け入れて/じぶんの声にふと目覚める」
 四十九日の前夜。幽明界を異にする夫との営みをうたう「夢」という詩の一節だ。生と死のあわいを見つめるこの視線は生涯一貫している。
 茨木が10代の終わりに書いたらしい童話が死後、絵本『貝の子プチキュー』(福音館書店)になり、山内ふじ江さんの原画が今回展示されている。
 独りぼっちの貝の子プチキューは美しいものを求めて海を旅し、満天の星を仰ぐ。最後はカニに食べられ、星月夜に貝殻が波に洗われる。若き日の茨木は宇宙と向きあい、死を静かに引き受けていた。
 11歳で母と死別したこと、そして、「わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ/工場で 海で 名もない島で」とうたわれた戦争体験が、深くかかわっているのだろう。
 同文学館学芸係長の原澤弘子さんが今回、宮崎さんと共に発掘した貴重な資料は多い。茨木は53年、詩誌「櫂」を一緒に創刊した詩人川崎洋への手紙で、自らの詩作の姿勢をこう語る。
 「現代詩をみた場合、あまりにも日本語の扱ひが粗雑で詩語に昇華されておらず、且つチンプンカンなものが多いのでそれへのアンチとして私なりの努力を続けてきました」
 戦時中に日本で獄死した朝鮮の国民的な詩人、尹東柱(ユンドンジュ)の詩を邦訳した未発表の草稿も見つかっている。
 9月末には『茨木のり子全詩集』(花神社)が出る予定だ。詩業の全体像は、さらにつかみやすくなるだろう。
 「茨木のり子展」は9月20日まで。火曜休館、
《出典》朝日新聞 (22/08/20) 前頁  次頁